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啓蟄の青虫 | Awaken Caterpillar
Click here for the English version 啓蟄(けいちつ) 二十四節気の三番目で、通常三月初旬に当たる。春分の日の前までを指す。土に隠れていた虫が外へ出てくるほどに暖かくなる時期を示す。*** それは、サナギになるにはあまりに大きくなり過ぎた、青虫であった。その姿のまま成長し、地上を這い廻った後、冬を迎え、土の中に身を閉ざした。その虫は、孤独であった。 彼、つまりその青虫がまだ地上にいた春の日、彼はひらひらと舞う蝶に見惚れ、思わず尋ねた。「君は、どうやってそんなに美しい蝶になる術を知ったの。」蝶は彼の頭上で一度だけ身を翻し、答えた。「生まれた時からだ。」 青虫は飛び去って行く蝶を目で追いながら、「僕は生まれてから今まで、自分が何になるのかなんて分からずに生きてきた。」と呟いた。「僕にもいつか、分かるんだろうか。」 彼と形状の似た青虫たちは皆、サナギになり始めていた。しかし、彼にはどうにもそれをするやり方が分からなかった。 「考えていたら、腹が減ってきた。」のそり、のそり。青虫は、アブラナの葉が茂る方へ、ゆっくり歩を進めた。 陽の光をたっぷり受けたアブラナの葉をうまそうに食んだ。青虫があまりに沢山喰うので、花は見兼ねてこう言った。「お前は喰ってばっかりだ。蝶は花粉を運んでくれ、ミミズは土を肥やすが、お前は私たちに何もしないのか。」 はっとして、青虫は頭を持ち上げた。そして、申し訳ないような気持になった。 「僕には、何ができるのだろうか。」 彼はそれでも地上をのそり、のそりと這い廻り続けた。彼は、自分が何者なのか、何ができるのかは分からなかったが、日々を生きる術だけは知っていた。柔らかい葉を食み、雨が降ればその裏に隠れて休息した。 何も考えずとも腹を満たそうとし、生きようとするこの命が、どんな目的を持っているのか。彼は、それを知りたかった。 「己が生きることに、確たる意味など無い。」ある雌の蜘蛛は、彼を見下ろしてそんな言葉を吐き捨てた。「ただ、生まれるのだ。意味があったかなど、己の命が果てるまで分からない。果てた後でも分かる保証は、無い。」次の日、その雌の蜘蛛は卵を数多産み落とし、死んだ。 彼女の生、そして死は、少なくとも青虫にとっては意味のあることに見えた。彼の死後、彼の存在の意味を汲み取ってくれる者はいるのだろうか。 季節は巡り、とうとう地を這う虫は彼だけになった。寒空の下、地上にわずかに残った冷たい葉をひと口、ふた口、音も無く食んだ。そして、静かに涙を流した。 「何にも成長しないまま、腹だけは減る。僕は情けない。」 彼は独りごちた。目からは涙が零れ、その間にも口はもしゃもしゃと葉を食み続けた。 ひとりで考え続けることに、ほとほと疲れた青虫は、冬の大地に身をうずめ、深い眠りにつこうと決めた。はじめは枯葉の山にもぐりこんだが、先にいた昆虫の家族に追い出された。青虫は自分の頭部を使って土を掘り、地中に潜った。 大地の中は、冷たかった。地中にいてもなお、彼の周囲の物質的空間は、彼の輪郭をなぞり、その存在をかたどるように迫ってきた。それはまるで、この「何者か分からない」身体から、逃れることができないということを青虫に突きつけるかの様だった。 青虫は震える胴体を硬く丸め、涙でしおれた目をつむった。やがて次第に体が温まっていき、眠りに落ちた。 青虫は、長い夢を見た。幸福な夢だった。自分が巨大で美しい蝶になって、ひらひらと空を舞っていた。青虫の彼を忌み嫌っていたアブラナが、彼に向かって親し気にその黄色い花を揺らし、挨拶していた。蝶になった彼には、仲間がいた。つがいとなる雌の蝶にも出会った。花の蜜を吸い、彼は温かな陽の光の中で、いつまでも飛び回っていたいと思った。 どれだけ眠っただろうか。青虫は、空腹でついに完全に目を醒ました。そして、うずくまっていた胴をピクリと動かした時、ささやかな落胆を味わった。「そうだ、僕は青虫だったのだ。」青虫は、冷たい土の中で、悲しく笑った。 そして、自分の周りが完全な暗闇ではなく、薄闇であることに気が付いた。地表に光が差しているのだ。 青虫は自分の頭部を使って土を掻き分け、地表にその頭部の先端を突き出した。 青虫の先端に、日の光が注いだ。温かさ。新しい草のにおい。もう長いこと、感じていなかった感覚を思い出した。また春が来ているのが分かった。 と、何を考えるでもなく胴体は蠢き、土を払いのけて彼はすっかり地表に出た。のそり、のそり。青虫は這い出した。新芽の集う茂みに向かって。 「這って生きよう。おれは。いつまででも、這って行ってやる。」青虫は、唸るように呟いた。 地面にはしぶとく、冬の冷たさがこびりついていた。 (終わり) ※このお話は二十四節気を題材にしたフィクションです。 Awaken Caterpillar Go back to the Japanese version 啓蟄 - Jingzhe, or Keichitsuis the 3rd of the 24 solar terms in […]